子連れLSE留学記(英国大学院留学)

2020年から子連れでLSEに留学している筆者の記録

41 MT前半終了

あっという間に5週間が終わり、来週はReading Week。例によってformativeな課題はいくつかあるが、やっと一息つけるという感覚。

 

実際に授業を受けているのは3科目分で、昨年と比較すると1科目分少なく、時間割もゆとりがあるはずなのだが、昨年と同じぐらいかそれ以上に疲れたと感じる。長い夏休みを基本的に家族で過ごしていた(日本語環境に染まっていた)反動だろうか。

それもあるだろうが、自分なりの分析としては、授業での「辛さ」の質が変わったことが大きいのではないかと思っている。昨年は授業で教授が言っていることを理解するのに精一杯、クラスメイトの議論には全然ついていけない、というのが基本の状況で、目の前で何が行われているのかさえ分からないという「辛さ」だった。

それはそれで辛かったが、今学期になって感じている「辛さ」は、少し違う。授業で教授が言っていることは、多少時間がかかって時差が生じるがだいたいわかる、クラスメイトの議論もなんとか追えるという中で、自分の考えを英語で整理して伝えようとするのに時間がかかりすぎて時機を逃す、相手の意見が間違っているじゃないかと思って、拙い英語でなんとか指摘しようとするも、英語力の問題かあるいは別の問題か、相手に全然響かず意見をあっさり退けられる(あるいは無視される)という、「辛さ」だ。

前向きにとらえるなら、昨年よりも次の段階と言えなくもなく、英語力が多少なりとも向上したと評価できるかもしれないが、しかし、今の「辛さ」の方がフラストレーションが大きい。

 

こういう経験を通じて、これまで当たり前のようにしてきた意思疎通を図るということが、改めて高度なことなんだなと感じる。うまく言語化できていない気がするが、これまでは、日本で日本語話者同士で意思疎通を図る経験ばかりだったので、相手や自分が(物理的に)聞き逃したりしない限り、基本的に意思疎通に問題が生じることがないという前提で、たまにお互いが考えていた前提が違ったりして認識に齟齬が生じると、衝突の原因になっていたが、言葉にして相手に伝えれば自分の考えが伝わるというのは、あまりにも自分勝手な期待に満ちすぎていたのではないかということだ。

最近出会った、言葉を練って伝えれば、きちんと相手に伝わるというのは幻想で、よく言えばもっと相手を信頼する、支離滅裂なことを言っていてもうまく拾って自分が考えていることを理解してくれる、悪く言えば諦める、どんなに正確な言葉を使っても誤解する人は誤解する、という言説が、こうした授業での経験も相まって、すごく深く刺さった。

 

なんだか小学生レベルの当たり前のことを語っているような気もして気恥ずかしくなってきた。しかし、現実問題、お互い海外生活での小さなストレスが積み重なってきているのか、ここしばらく、パートナーとの会話で、相手が言ったことについて、実際の発言以上のことを勝手に読み取って、それが原因で険悪な雰囲気になるというのが定期的に発生しているので、まずは、英語でも日本語でも(言語能力を超えた)コミュニケーションの難しさに対して自覚的である必要はあると感じている。