子連れLSE留学記(英国大学院留学)

2020年から子連れでLSEに留学している筆者の記録

15 2021年

年が明けた。

日本では、除夜の鐘がどこからか聞こえてくるだけの静かな中で日付が変わっていたが、こちらでは、日付変更と同時に近所の複数の場所から花火があがり、パーティーでも開いていたのか隣からは叫び声が聞こえてきてとずいぶんと違った雰囲気だった(今年はさすがになかったが、都心部カウントダウンイベントを見学していれば、さらにもっと騒がしかっただろう)。

 

そして年明けのお祝いムードも特にないまま、先日、1月6日から2月中旬までイングランドでは3回目となるロックダウンを行うと発表された。

渡英した9月末からを振り返ってみると、11月5日から12月2日までロックダウンが行われ、解除されたあとも、12月16日からTier3、さらに12月20日からTier4と12月中旬から実質的にロックダウンに近い状態だったので、(一定の制限はあったものの)美術館・博物館などで普通に観光できたのは、10月1か月間と12月の2週間ほどだけということになる(そして、その機会はほとんど活かせなかった)。

昨年は、元来、出不精だし、遊びまわる余裕もないから、ロックダウンだろうがなんだろうがあんまり生活に影響はないなと思っていたが、今回のロックダウン宣言を聞き、思ったよりもショックを受けたことに自分でも驚いた。日本とは比べ物にならない感染者数(5万人/日)を考えれば仕方がないし、実際、大学の授業が始まれば観光に行くような余裕はまたなくなるだろうから、そこまで生活は変わらないはずだが、雨がちな天気の影響もあってか気分は落ち込む。

 

大学の授業の方は、セミナーはキャンパスで行われていた11月のときとは異なり、次学期は全てオンラインで行うという連絡が来た。2月末から可能であれば対面での授業も提供するとあるが、果たしてどうなるか…

結果論だが、これだけオンライン中心ということになると、パートナーのキャリア中断や子どものことを考えると、東京からオンラインで授業を受けるという選択肢もあり得たなという思いが頭をよぎる。もちろん、渡英したからこそ、限定的とはいえ、授業以外でのクラスメイトたちとの交流機会を得られたわけだし、東京にとどまっていれば生活が今以上に日本語中心だったり、時差の問題があったりしたわけなので、結局は自分の選択の中で最善を尽くすしかないわけだが。

 

オンライン教育ついでに少し考えたことが2つ。

1つ目は教育の対価としての学費。大学院に限らずだが、多くの教育機関が今回の新型コロナウィルスの影響により、オンラインで教育を提供しているが、私の知る限り、オンラインだからと言って学費を下げるというようなところはない。つまり、実体上はともかくとして、観念上は、オンラインだろうが対面だろうが提供している教育は同等だということになる。

しかし、そうすると対面で授業を提供する意義はどこにあるのだろうか。もちろん、今は一時的な措置ということで学費を維持しているのだろうが、将来的には、対面とオンラインとで学費に差をつけるということはありうるのだろうか。

いずれにせよ、現在、学生、学費を支払っている者の立場としては、オンラインでも支払っている学費相応の教育成果を得る努力が必要だなと思う。

 

2つ目は教育の機会。日本だと、オンライン教育では十分な通信回線や端末を確保できない家庭が取り残されるという方向に話がいきそうな気がするが、私としてはむしろ、教室のキャパシティという物理的な制約もなくなるし、移住することなく教育を受けられるのだから、教育の機会は拡大されるんじゃないかと感じている。

留学生だけでなく日本国内のことでも、大学進学を機に地方から上京する学生は多いし、一方で、そうした進学費用の問題で大学進学を断念する学生も一定数いるが、オンライン教育が普及すれば、そういった問題を解決できるだろうか(前述のとおり学費に差をつけるということも合わせて)。

蛇足ながら、渡英前に人に薦められて見た、京都大学人社未来形発信ユニットがyoutubeで提供しているオンライン公開講義の児玉聡准教授の「パンデミック倫理学」は面白かった。個人的には、こういったオンライン公開講義がもっと広がることを期待したい。

 

新型コロナウィルスの影響で、これから社会は大きく変わらざるを得ないだろうが、「良い」変化もあるはずなので、その変化に立ち会えることは楽しみでもある。

 

 

昨年を振り返ると、渡英直後は語学の壁から全てにおいて自信を失い、かなり委縮していた。英語の向上に努めるのはもちろんだが、今年はもっと自信を持って積極的に行動したいと思う。
同時に自分自身の拠り所が言語に偏っていたということにも気づかされた(趣味も読書ぐらいだし)。スポーツや音楽、絵画など非言語的な拠り所があれば、ショックは少なかったかもしれない。さすがに自分についてはいまさら…という気はあるが、子どもたちについては、英語教育に力を入れるというだけではなく、こういった非言語的な拠り所への興味を伸ばしてあげるというのも必要かもと思った。