子連れLSE留学記(英国大学院留学)

2020年から子連れでLSEに留学している筆者の記録

22 余暇

選択科目として履修している"Welfare Analysis and Measurement", 通称(WAM)。先学期は所得の分析を行っていたが、今学期からは所得以外、職業などのステータス、資産、教育・スキル、Social Capitalなどを扱ってきたが、今週扱ったのが表題にした余暇。

 

全ての人が1日24時間しかない中で、その時間をどのように使っているのか、という問いは古くは労働経済の視点から、そして近年では幸福・健康の視点で注目されている。程度の差はあるが、先進国に共通するのは、労働市場で働く時間は減ってきているが、その分、家事育児など家庭内で働く時間が増えている、男女で見ると女性の方が家事時間が長く、男性の方が余暇が多いという傾向のようだ。

 

授業で扱った論文には、あいにく日本のデータが含まれていなかったので、少し調べてみた。総務省統計局が実施している「社会生活基本調査」の「生活時間に関する調査」がそれに該当する(なお、余談ながらこちらの統計は英語版もHPで公表されていたのに論文で一切扱われていなかったのは残念)。

https://www.stat.go.jp/data/shakai/2016/pdf/gaiyou2.pdf

 

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「仕事」もそうだが、「家事」と「趣味・娯楽」の男女差が顕著だ。自分の家庭や両親のことを顧みても納得の傾向だ。男性の「家事」時間がこの20年で90%増とはいえ、女性の5分の1以下。「家事」に「介護・看護」「育児」「買い物」を加えた「家事関連時間」で見ても1996(平成8)年が男性24分、女性3時間34分だったのが、2016(平成28)年で男性44分、女性3時間28分と差は歴然。ちなみに有配偶者のみで比べると男性49分に対し女性4時間55分と専業主婦の存在を考慮しても圧倒的に女性の方が家事関連に時間を費やしている。末子が6歳未満の夫婦の家事関連時間は差がさらに広がるのだが、引用はこのくらいにしておく。

 

この結果を見て思い出したのが、noteで公開されていて、つい先日読んだ「母親の新しい孤独について」と題するエッセイ。子どもを持つ・持たないという区別だけではなく、子どもを持ちながら持たない人のフィールドで道を模索する母親の孤独を語っている。子どもを持ったとたん、子どもを優先するのが当然という風潮の中で、ひとりの女性として自己実現をしようとする苦しさが書かれていて胸を打たれた。

 

数年前に社会現象を巻き起こして、今年スペシャルドラマが放送された「逃げるは恥だが役に立つ」の原作者が続編を書いた理由として、「女性の呪いについては描いたけど、男性の呪いについては描いてなかった」、誰かが書いてくれたらいいかと思っていたが、結局自分で描くしかないということになったと述べていた。あの作品の中では、母親・父親というのにそこまで焦点を当てていなかったが、その言を借りると「母親の呪い」はまだまだ強固にある。職場の飲み会に母親が来ていて、「子どもはどうしたの?いい旦那さんだね」と言われることはままあるだろうが、父親が来ていて、「子供はどうしたの?いい奥さんだね」と言われることは皆無だろう。

 

「12歳までに「勉強ぐせ」をつけるお母さんの習慣」(楠本佳子)という本を昔読んだが、その中で印象的だったのは、子どもにあまり口出しをするな、母親も子どもほったからして趣味とか何か打ち込めるものに時間を割け、その背中を見て子どもが育つという話で(タイトルはなぜ「お母さん」だけなのかと噴飯ものだが)、なかなか正鵠を射ていたと思う。

 

専業主婦家庭・長時間労働を前提として、女性は何よりも母親であることが求められ、父親はほぼ全ての時間を会社に捧げて、家庭での居場所を失っていく。そんな社会からいまの私たちが生きる社会は変わってきているけれど、まだまだ過渡期で、残滓に苦しんでいる人が多くいる。願わくは、子どもたちにはもっと生きやすい社会を。