子連れLSE留学記(英国大学院留学)

2020年から子連れでLSEに留学している筆者の記録

20 LT(Lent Term)

Lent termが始まって3週間が経った。今学期からセミナーも含めて全てオンラインということもあってか、MTはロンドンにいたクラスメイトでもLTからは母国から参加するという人がちらほらいて、それぞれのTime zoneに合わせるため、セミナーのメンバーにも入れ替わりがあった。

 

授業の方は政治学だけ講師陣に変更はないが、他は講義担当教授が変わった(セミナーの講師は全ての科目で変更なし)。

不評だった政治学の授業はLTに入ってからアンケートが実施され、その結果、今週からはこれまでの講義ビデオ視聴とライブのQ&Aセッションの組み合わせが、90分間のライブ授業+Q&Aセッションになった。途中、学生がいろいろ質問をするうちに、スライドの半分以上を残して終了時間まで残り10分という状況になっていたが、教授がなれるまでしばらくそういった状況が続きそうだ。セミナーでもブレイクアウトルームを作って2・3人で議論させるという時間を増やしたり、学生側の不満を受けてなんとか対応しようとしているようだ。

ただ一方で、こうした学生の発言機会を増やすことが授業の質に直結しているのかというとそれはやや疑問も。例えば、全員が全員、事前にテーマに沿った論文を読み込み、さらに関連する別の論文も読んで議論をするのであれば、授業の質は間違いなく上がると思うが、正直、そこまでできる人はそういないだろう。ただ単に思い付きでしゃべっているだけじゃないかと思う意見もある。議論の時間として割り当てられている時間ならまだしも、教授の講義を遮ってまでとなると、どうかなという気がする。

教育は、受益者の満足度とサービスの質が必ずしも一致しないから、このあたりの塩梅はどの国のどの教育機関でも悩ましい問題だろう。

 

授業は全てオンラインで実施ということで、セミナーの前後にクラスメイト達と軽い雑談をする機会すら失われてしまったが、通学時間が短縮された分、時間に余裕を感じる。もっとも、プレゼンなどの準備が始まればそんなもの消し飛んでしまうかもしれないけれど。

時間に余裕が出た分、先月からkindleで日本の本を購入して読んでいる。もっと英語に浸った方がいいんじゃないかという罪悪感がないわけではないが、日本で仕事をしていたときはなかなか本を読む時間さえ作れなかったので、授業とは別に知識のアップデートとして必要な時間の使い方だと思っている。日本にいたときは、なんとなく電子書籍を毛嫌いして紙の本を買っていたが、利用し始めてみると書籍内で検索を掛けられたりして、案外悪くないなと思う。

何より、一昔前の諸先輩の留学ブログで、日本の本を読みたくても読めない、郵送するととんでもなく高くつくという話を読んでいたので、英国にいながら日本にいるのと変わらずにアクセスできるのは本当にありがたい。

 

帰国したら、子どもたちが手に取る機会を作るという観点で、本棚を買って紙の本をまた買うつもりだが、子どもたちの世代は電子書籍しか読まなくなっているかも。それはなんだが寂しい気がするが、そんなことばかり言っていると、いつまでも取引先とのやりとりでFAXを利用する社会から脱却できないんだろう。

19 ロンドン生活③

以前も書いたがロンドンではホームレスをよく見かける。近所の大型スーパーの出口には必ずと言っていいほどホームレスがいて、お釣りの小銭をくれと呼びかけている。また、地下鉄の駅構内で、楽器を演奏してチップをもらっている人もよく見かける。

ただ、こちらでの支払いは、ほとんどがGoogle payなどの非接触型決済で済むため、そもそも小銭が発生しない。渡英して4か月ほど近くたつが、1ポンド硬貨が必要で敢えて現金支払いをした数回を除くと、現金を支払いで使ったことは一度もない。

これだけ決済の電子化が進むと彼らの収入も激減しているのではないかと思っていたが、楽器演奏者の中には非接触型決済用の端末を置いている人がちらほらいて驚いた。携帯やカードをかざすと1ポンド支払えるらしい。ホームレスはさすがにそもそもその端末を買う余裕はないと思うが、楽器演奏者たちはいずれ全員非接触型決済でチップを受け取るようになるのかもしれない。

 

ロンドンでは本当にキャッシュレス化が進んでいて、先日、訪れたSouthbank Book Marketという青空古本市のようなところでさえ、支払いは全て非接触型決済だった。日本だと東京のそれなりに大きい繁盛している屋内店舗でも普通に現金払いしか受け付けないことがあるから驚きだ。 

また、ロックダウンになる前にクラスメイトと訪れたパブでは、アプリを携帯にインストールしてそれを使って注文、同時に決済も行われるというシステムだった。私の知る限り、日本ではこのようなシステムを採用している店はない。

 

こういう社会の変化は、需要が主導するのか供給が主導するのかは気になる。鶏が先か、卵が先かの問題ではあるけど、現状を変えるためにはどちらからのアプローチが有効なのか。

 

別に何か結論があるわけではないけど、街を歩いていて気になったことを備忘のために。

18 MT振り返り③(Politics)

いろいろと波乱含みだったPP478 Political Science for Public Policy。

 

トピックは、国家とは何か、民主主義と権威主義、民衆蜂起、権威主義の形態、民主主義の形態、選挙システム、選挙での説明責任など。こちらは他の2つの必修と違い、学部で政治学を学んでいても免除はなし。また、基本書のようなテキストが指定されているわけではなく、トピックごとにテキストや論文が指定されてそれを読むというもの。

 

授業の基本的な流れは、事前にHPにアップされている講義のビデオ(1時間~1時間半)を視聴し、Zoomを使ったオンライン形式でのライブQ&Aセッションを1時間、翌週のゼミ(キャンパスでの対面・1時間半)でトピックについて議論したり、グループプレゼンテーションを実施したりというもの。

 

グループプレゼンテーションは、希望するトピックを各自2つ選んで、それに応じて3・4人のグループに分けられ15分以内で実施する。トピックごとにお題が与えられているが、基本的には、一つ国を選んでその国での政治的動き(選挙制度改革)などを分析・評価せよという形。

以前も書いたが、このグループでの議論というのに相当苦労させられた。英語力の問題が一番ではあったが、私はこれまでの教育や仕事のやり方を踏まえて、「正解」を意識しながら進めていたが、「面白くない」という理由で意見を退けられたりするのは、新鮮だった。

プレゼン自体のスライド作成・発表自体はいろいろ調べながら進められるし、評価自体はグループに対して行われるもので、それほど悪いものではなかったが、やはりグループでの議論にどう貢献していくかというのは大きな課題であった。振り返ってみれば、何を話すかよりもどう話すかをもっと意識するべきだったかもしれない。英語が下手な奴が如何にも自信なさげにぼそぼそしゃべると端から聞いてもらえないという部分はあっただろう。

 

この授業については、クラスメイトの多くが不満を持っていたが、その要因は主に以下の二つ。一つは、政治学の授業なのにディスカッションがほとんどないという点。最初聞いたとき、Q&Aセッションがあるじゃないかと思ったが、彼ら曰く質問したいのではなく、議論をしたいのだと。これだけいろんな国の出身のクラスメイトがいるんだから、それぞれのトピックについて、お互いの国の事情を知りたいとのこと。これは確かに一理あるなと思った。ゼミでも講師が「〇〇とは何か」とか事前に読んだ論文の内容を知識として確認するようなやりとりがほとんどを占めていた。理論として、例えば、選挙制度には多数代表と比例代表があって、多数代表にはこういう長所があって~と習うのも悪くはないが、正直、高校生の政治経済や現代社会の延長にすぎないという感は否めない。

二つ目は主にインドなどアジア出身の学生から、トピックごとの説明が西欧の文脈でばかり説明されているというもの。インド出身のクラスメイトの一人はブログで「もっとインドから学べ」という趣旨の発信をして、インド出身の他のクラスメイト達から熱烈な支持を受けていた。他のクラスメイトもそこまでは言わずとも、卒業後はアジアで仕事をするつもりだから、アジアのことをもっと学びたいと不満を漏らしていた。これについては、西欧の方が、例えば、議会制民主主義の歴史が長いわけだし、その分、研究成果も蓄積されているので仕方がないのではないかなとも思う。

また、政治学固有の問題として、学者は、ある国で見られた政治現象を理論化して一般化しようとするわけだが、完全な一般化は難しいというところに行きつくのではないかと思う。経済学にも近い問題はあると思うが、あちらは理論・モデルの研究に軸足がおいてある印象だ。政治学はもっと現実の問題を扱っている分、結局、個別の国の特性の問題に帰着してしまう。

 

それにしても、胸を張って「インドから学べ」と主張できるインドの若者が眩しい。